【霊障:具体例で説明します】
  ●例(1) 大学病院がサジを投げたF子の骨肉腫      神奈川県のF子はいま30才になる。半年前、松葉杖を突きながら、文字ど     おり三重県の私の寺に転がりこんで来た。      彼女は事情があって祖母と二人暮らしをしていたが、17才の時、腰の辺り     に猛烈な痛みを感じると同時に吐気に悩まされた。37度の熱も続いた。      T大学病院で診断をうけたが、原因が判らない。ただ痛み止めの薬をもらっ     て飲むことと、毎週整体治療を受けるだけで、何とか我慢をしながら、高校を     卒業し、就職もした。      数年間は、時々襲って来る痛みに耐えながら、なんとか無事に過ごせたが、     5年前に、また激痛がやって来た。      T病院の診断は、どうやら肉腫、それも骨に関わる恐ろしい病気らしい、と     いう。直ちに入院であった。そして何度にも亘って長時間の手術を受けた。      セン骨、ビ骨、座骨の全部、あるいは一部が次々に削り取られた。     入院は一年間続いた。もちろんベッドに寝たっきり、制ガン剤の投与で体力も     弱っていたが、少しよくなってベッドに座ろう、としても支える骨が無くなっ     ているから、じっと座ることも不可能、すぐダルマのように転がってしまうの     だ。      それでも一年後どうやら退院することができ、自宅での療養がはじまった。     松葉杖にすがってヨチヨチと歩行訓練を開始しかけていた頃、また激痛が襲い     出した。      しかもこの激痛は、毎日夜中の午前二時になると襲って来る。そして彼女は     夢うつつに気がついたのだが、その時刻になると、綺麗な衣装をまとった姫君     のような女性が訪れて来る。そして痛みは、骨の髄にこたえるほどの、以前に     も増して激しく、F子は床の中で歯を食いしばって、のたうち回らねばならな     かった。      T病院でレントゲンも撮ったが、今度も病巣は判らない。主治医は、「おそ     らく再発しているのでしょう。白血球もひどく少なくなっています。しかし、     今のところ手術のしようがありません」と言う。これはもう諦めなさい、とい     うことである。      彼女は悲観に暮れながら、それでもいちるの望みを抱いて、整体や指圧や接     骨院をたずねては必死の療養を続けた。      その頃、何気なくテレビを見ていた彼女は、そこに私が出演する番組(「あ     なたの知らない世界」)に出会ったのである。      もともと彼女は感受性豊かな、本能的に霊界の存在を知る敬虔な体質、言い     替えれば、シャーマン(巫女)的な素質をそなえた女性である。      偉大なる如来の力、霊エネルギーの存在、祈祷と霊能力、そして霊障からの     浄霊のこと等々、私が語る話に、彼女は直ちに感応した。      松葉杖にすがって、一日、彼女は小田急線・成城学園にある私の寺・慈雲院     を訪ねて来たのである。      話を聞いて私は彼女に言った。      「医学に頼るか、如来さまにすがるか、今こそ選択しなさい。あなたの病気     は医学では根治できないでしょう。私を信じ、如来さまの慈悲におまかせする     決心がついたら、私の本拠である三重県勢和村の大本山・妙尊寺へおいでなさ     い。あなたの体を社会復帰できるまで、完全な健康体となるまで面倒を見てあ     げよう」      かくして六十年の暮れ、彼女は三重県の妙尊寺にやって来た。      一週間、彼女には特別な椅子を作って座らせながら、他の多くの弟子たちと     一緒に、毎夜、行を積ませた。私が編み出した”修霊法”に従って、彼女に依     りかかっている霊をおろした。その霊とは、彼女が夜毎夢うつつの内に感じて     いた美しい衣装をまとった年若い武家の娘であった。F子の父方の先祖の因縁     (色情因縁、この因縁については後に詳しく説明する)にまつわる深い怨みの     念を持った娘の霊障であったのである。      祈祷によって、この娘の怨念を払い落とし、その霊を成仏させたことを見届     けてから、私はF子に言った。      「君の病気はすでに治したよ。さあ、その椅子を離して、一人でちゃんと正     座しなさい」      F子はあそるおそる投げ出していた足を引き、私の命じるままに座り直そう     とするのだが、その動きはギゴチなく、今にも倒れそうにする。      「治ったという私の言葉が聞こえないのか。しゃんと座れ、甘ったれるな」     私は厳しく叱った。びくっと、まるで電気ショックを受けたように、彼女は居     ずまいを正した。次の瞬間、喜びの涙があふれ出た。      翌日から彼女は松葉杖を離し、己が二本の足で歩きはじめた。何年ぶりの大     地の感触だろう。      そろそろと最初のうちは危なっかしい歩き方だったが、十日とたたぬ間に、     彼女は山内の急坂や崖を登り降りして、苔集めをしたり、スコップを手に土を     掘ったり、ブロックを運んだりする作務まで、活発にこなせるまで回復した。      彼女は今も山内にとどまって、新しい人生に再出発すべく、修行に励んでい     る。      記念の松葉杖と特製の椅子は、妙尊寺の倉庫にもはや使う者なく、仕舞われ     ている。   ●例(2) 霊障の存在を証明した人骨の発掘      目に見えぬさまざまなエネルギーのさわり、即ち霊障というものがどんなに     恐ろしいものか、ということは、前項のF子のケースでお判りだと思うが、し     かし一般には、いくら霊障を説いても、なかなか信じてはくれないものだ。      自分が原因の判らない病気でよほど苦しんでいるものでない限り、霊障はあ     るかも知れない、と思っても、疑いの心は消えない。そんな「さわり」が現実     に起こるはずがない、もしそんなものがあるなら実際に証拠を見せてほしいも     のだ・・・これが世間の常識であろう。      これまでも、力のある霊能者たちは、たとえば釈迦やキリストをはじめ、天     理教の中山みき、大本教の出口王仁三郎なども、不治の病や原因不明の病気を     癒すことによって、霊のさわり、霊障の存在を、間接的に証明してみせた。し     かし、これはいわば、”状況証拠”のようなもの。科学的な検討にも立証可能     な”物的証拠”というようなものはなかった。      ところが、4年前、私は福岡のテレビ西日本(TNC)の「スタジオ82」     という番組に出演していて、この”物的証拠”を掘り出し、テレビの画面で、     掘り出すまでの一切の過程、霊を呼び出し、霊と交渉し、霊の苦悩を浄化(     浄霊)する作業等を、白日の下で衆人の目にテレビを通して明らかにしたので     ある。      ショッキングでもあり、エポックメーキングなこの事実は、その後も何度か     編集し直されて、テレビに再放送された。      霊現象を、目に見える証拠を揃えて世に示したものとして、まさに画期的な     出来事でもあったが、同時に、私の霊能力がより大きく飛躍することにもなっ     た、記念すべきことでもあった。      テレビでも新聞でもずいぶんセンセーショナルに取り上げられもしたし、私     自身もこれまでの著書(「南無地獄大菩薩」リヨン社刊)で詳しく述べている     ので、ここでは、そのあらましを説明するにとどめるが、その後この事件は思     わぬ形で発展していることを付け加えておこう。      九州・佐賀の旧家であるK家の長男の嫁E子さんに明らかに霊障とみられる     現象が起こった。妊娠していないのに腹部に陣痛のような激しい痛みが襲い、     全身が金縛りにあったような硬直がおこる。医者に診せても原因は判らない。      このK家は本家であるQ家を継いだものだが、七代前から、度々不思議な事     件が起こっていて、昭和十一年には当主の兄が霊につかれ、「人をあやめた浪     人がQ家に居候していたが、Q家の奥方との密通が露見して、Q家の主人に斬     り殺された・・・・・」と口走り、「浪人の骨が埋まっている、それを掘り出     せ」としきりに訴えた。そこで弟である当主や家族が相談の上、言うとおりに     K家の敷地を掘ってみると、本当に骨が出て来た。      これがその浪人の骨に違いない、と供養の碑を建て、あらためて篤くほうむ     った。      この間のいきさつは、同家に残された兄さんの「口白書」という記録で、今     も明らかである。間もなく亡くなった兄にかわって、弟さんが当主となられた     わけだが、その後四十年も経って、また当主の長男の嫁E子さんに、またまた     不思議な現象が起こったのである。      「なんとか力を貸していただきたい。余りにも因縁の深いことなので・・」     と、K家から相談を受けた佐賀の円福寺の住職が私を頼って来た。      この話をテレビ局が知ったのだ。      K家の承諾を得て、TNCのスタジオ内にセットが組まれ、そこで、私とE     子さんは初めて対面した。      テレビカメラが注視する中で、私は祈祷を続け、E子さんに憑いた霊を呼び     出した。苦しみもだえるその口から、「ハナエ」という名と「ミツエ」という     二人の女性の名が告げられた。ハナエとは奥方の名である。ミツエとは、奥方     につかえていた女中の名前。スタジオにつめていたK家の人たちも初めて耳に     する名前であった。ミツエもまた殺されて同家の敷地内に埋められていること     が私には判った。      K家の人たちもテレビ局も、翌日直ちに発掘にかかった。      その場所は、同家の納屋の下に、三bの地下にあると私は霊視した。その場     所は、昭和十一年に発掘した所とほとんど同じだが、浪人の骨は1.5bほど     の深さだった、と当主は言う。もっと深い場所に女性の骨が埋まっているのだ。     E子さんに憑いた霊は、その間、納屋の床に頬ずりをしたり、手の平でなで回     す。納屋はユンボで取り壊され、ショベルカーが作業を始めた。      呪文を唱えながら、霊と相対している私に「重い、重い、苦しい」と、霊が     訴えてくる。この納屋は昭和四十二年に建てられたのだが、その時に土台の石     を霊体の宿る骨の上に置いたらしい。      「石の下を掘って下さい」      どんどん大量の土が掘り出され、やがて、私が示した土台の直下から木製の     棺桶(たてかん)が見つかった。六角形のその棺はまわりの軟泥み゛と掘り返     され、作業員のさしこんだスコップのなかに、点々と骨片が散らばっているの     が、テレビの画面に映し出された。骨盤、肋骨、足の骨、頭の骨・・・さらに     櫛や人型の供養塔まで発掘された。真夜中の二時近い頃であった。この骨はの     ちの九州大学医学部の鑑定で、三百七十五年を経過した中年女性のものである     ことが判明した。(発掘された品々は今、佐賀県の文化課で保管されていると     聞く)      発掘作業はなお延々と続けられた。と、いうのも、見つかったのはミツエの     骨であることは私には判っていたが、もう一体のハナエの骨があるはずと探し     たのである。たとえ骨はとけてしまっていても、霊はそこにとどまっているの     だ。ミツエの場合は、たまたま粘土質の土の中で密封に近い状態であったから     、骨が残った、と考えられる。      結局ハナエの骨はこの時は発見できなかったが、同家の屋敷の片隅にすでに     密葬されていたのだ。密通した男女は”二つに重ねて斬る”という習わしから、     私もすっかり一緒に埋めたものと思っていたが、奥方だけ、三百七十五年に、     ちゃんと密葬されていた事が後の調べで判ったのだ。とにかく、出土したミツ     エの骨を洗い、回向をし、  南無妙法蓮華経  と、お題目を唱え終わると、     それまで、私の横で悶絶いていたE子さんが起き直り、「文左衛門さんが合掌     しながら消えていきます。消えていきます。」と叫んだ、と思ったら、スーッ     とタコの糸が切れたように、正気に戻った。      彼女の体からは、もう陣痛のような痛みも、硬直も、ウソのように消えてし     まっていた。      E子さんが口走った文左衛門とは斬り殺された浪人・相良文左衛門のことで     この密通事件ではミツエという女中までがまきぞえになって処分されたのであ     る。おそらく、二人の手引きをしたのか、その仲を知っていて隠していたとい     うので、主人の手打ちにあったのであろう。      以上がこの不思議な因縁ばなしの大要である。      ところが、この話に面白い後日談が加わった。      今度はE子さんの夫であるK家の長男とは腹違いの弟で、名古屋で医療器具     の販売をやっていた三十七才になるYさんに、突然、霊能力が宿ったのである。      私が佐賀のK家にまつわっていた相良文左衛門と二人の女性の霊障を浄め、     三人揃って成仏させたその直後のことである。      その霊能力というのは、いわゆるハンド・パワーで、痛む箇所に手の平をか     ざしてやると、痛みが薄らいだり、傷が治ったりする。本人さえキツネにつま     まれたような気持ちで、最初は面白半分に他人の痛みをとめたりしていたが、     だんだん不安になってきた。      そこで彼は私を訪ねて、妙尊寺に来、一部始終を語ったのである。      とにかく彼は、それまで霊の存在とかその仕組みなどとは全く縁のない、事     業一筋の男だったから、自分に備わった霊能力が不気味で仕方がない。このま     までは、自分はいったいどうなるのか、これからどうすれば良いのか、自分自     身をもてあまして、私の指導を求め来たのである。      私はここで、さきの相良文左衛門やハナエ、ミツエの三人の霊と、最後にか     わした言葉を思い出していた。      これもまた不思議なことなのだが、佐賀でのテレビを通して一件落着の全て     を放映したすぐあと、私は東京にとって帰ると、日頃から親しく出入りしてい     るタレントの泉アキさんが訪ねて来た。彼女は感受性豊かで、私の信者の一人     として、時々寺を訪れ、自らも修行を積んで、霊能を開いているところだった     のだが、私が祈祷をはじめると、佐賀でのことは何も知っていないのに、たち     まち文左衛門とハナエの霊の寄り台(霊がついて、その苦しみや訴えを再現す     る役割をもった人のこと)となって、私に語り出した。      「あなたがこの世に現れて、拙者を救ってくださることを、長い間待ってお     った。かたじけない」と文左衛門の口調で言い、次にハナエの声で「おかげさ     まで救われました。これで成仏できます」      そこで私は 「しっかりご祈念致しましょう。心安らかに成仏して下さい。     そして、どうかK家一族を今後はお守りしてあげて頂きたい」と述べると、     「必ずそう致しましょう」とハナエは約束したのである。ハナエがK家の敷地     内に、すでに密葬されていることは、この時、泉アキさんの口を通して教えら     れたのだが、とにかく、念願だった成仏が出来た三人の霊は、その喜びを転じ     て、今度はK家の繁栄のために守護することを約束してくれたのである。      このことを思い出して、私はYさんに言った。      「あなたは、成仏した霊たちの応援を受けて、人を救う力を身につけること     になったのだよ。いわばこれも前世からの宿縁であり、あなたの本当の役目が     授かったのだと思う。この際、得度を受けて、仏の道を修行し、より大きな力     を授かるよう努力することだ」      Yさんは納得して、それから妙尊寺にこもり、私の弟子として、新しい人生     を歩み出したのである。     以上、参考にして下さい。       次回は具体例(3)原因不明の足腰の痛みが瞬時に消えた を掲載予定です。