【”寄り台”を使った霊との対話】
     寄り台というのは、一般にシャーマンのことである。神道の巫女(みこ・か     んなぎ)も同じことで、「霊が寄る台となる人間」の意味。自らを忘我の境地     に導いて、霊的存在と直接接触し、その意志を伝えたり、予言を聞いたりする     ことが出来る人が寄り台になる。私の弟子たちにも、そういう能力に優れた者     (女性)が幾人もいる。      こういう人たちを使って、その体に霊を乗り移らせ(憑依させること)、霊     が何を訴えようとしているのか、どうして欲しいのか、という話しを聞くこと     がある。      私は母の年忌法要の際にも、寄り台を使った。      寄り台となった女性は、生前の母の仕草や音色そのままに、手厚い供養を受け     て何の迷いもなく、感謝しながら安らかにしていると喜んでくれた。      しかし、寄り台となった者は、非常に体力を消耗するようだ。これが、母のよ     うに成仏している霊はともかく、一刻も早く迷いから脱出したいと、苦しみもが     いているような場合には、寄り台そのものが、苦痛の仕草を続けることで疲労困     憊(ひろうこんぱい)におちいったりする。      これを長く続けていると、寄り台そのものの肉体がボロボロになってしまい、     生命さえ危険になることがある。      だから、寄り台を使って霊と対話する場合には、最少時間で要領よくすまさな     くてはならない。      これから考えても、憑かれるということの苦しさや憑くことで一挙に苦しみを     吐き出そうとする霊のもがきようも納得できるというものである。      それでは、常に霊と対話したり、寄り台を通すなどして、霊と交渉を持つ私の     ような霊能者には、こうした憑依現象は起こらないのか、というと、決してそう     ではない。      迷っている霊は、とにかく誰かれの見さかいなくすがり憑こうとしてもがいて     いる。それが、少しでも霊界のことを知っている者、すなわち霊能者であるとか     、神や仏につかえる者だとなると、あちこちからワッと群り寄って来たりするも     のである。とくに地獄、餓鬼、畜生界にあえいでいるような低級霊はなおさらだ。      そんな迷える霊(不成仏霊とも言う)に取り憑かれては、正常な神経ではいら     れない。      そんな霊たちの障りを受けないよう自らを強く鍛えるのが”行”である。行を     おろそかにしていると、たちまちやられる。      私の見るところ、世の祈祷師と称する者の中には、動物霊(主として野狐や蛇)     に取り憑かれて、欲望丸出しに、その動物霊の使い走りになり下がっている者が     多い。      これも正しい行を積んでいないからである。      寄り台という肉体に霊を憑依させるのは、その霊を呼び出して、込み入った因     縁内容を聞くためだが、それは、現世にある因縁や関係者に、目で見、耳で聞か     せて、霊の悩みや苦しみを直接教える必要がある時が多いからで、この世にある     者たちに、判り易く視聴覚による情報提供をしてやる、という狙いもあるのだ。      しかし、いつでも寄り台が必要なのではない。現実に憑依されて、苦しんでい     る被霊障者があれば、その姿や仕草、言葉や声によってその因縁の内容を知るこ     とが出来る。      たとえ被霊障者が目の前に居なくても、私の念力は、霊を感じ、霊を呼び出し     て話しをすることも出来る。透視や霊視をするだけで、その霊の実体、苦しみの     内容やその原因を知ることも可能なのだ。だから、私の日常では、電話一本で悪     い因縁を外したり、浄霊の効果を上げたりしていることが多いのだ。      霊現象はこのように時間、空間を越えてあらわれる。