宗教法人 妙法山設立まで

私が出家するに至ったのは、ことさら僧侶になりたくて出家した訳ではない。
三十才の時であった、一線美術会の公募展で一線美術文化賞を受賞した事に始まる。
最高の賞を受賞した私は何か大変な運命の岐路に立たされた思いであった、それまで毎年受賞はしていたが、今度ばかりは違うと思ったのである。
とにかく自分を見詰めよう、そして画家として自分が納得できる作品が描ける画家になろうと決心したのであった。
その為にはどうしたら良いのか悩んだのは事実であった。
展覧会作品を描くことは止めよう、画壇から離れよう、そして自分とは何か見詰め直してみよう、その為には哲学を学んでみようと考えたのである。
私は無我夢中で勉強した、しかし宗教哲学は学問だけでは真実を理解できない部分が沢山ある。中途半端が嫌いな私は出家し修行に、そして宗教哲学の研鑽にと、その世界にのめり込んで行った。
同時に絵画の研鑽も怠らず、自分の世界を求め続けた。
知れば知るほど矛盾点に突き当たる今日の宗派仏教しして既成宗教の問題、そこで海外の仏教学に目を向け、更に研鑽を深め、宗派のない仏教を目指して昭和五十二年(1977)宗教法人・妙法山を設立して全国行脚を始め、『私は何の為に生きるべきか、そして何をすべきか』と考えながら無我夢中で歩いて来た、振り返ってみたら還暦はもう、とうに過ぎていた。

慈雲の祈り

真実の平和や世界人類の繁栄を叫ぶ人があっても、その殆どは自分の国益もしくは自己の利害の為であろう。 しかし、それらは誰の利益にもならないであろう、そして又、全人類の幸福を仮に求める人があったとしても、自己の目先の利害や名誉を求める人であるならば如何に立派な理論であっても、目的を達成する事は出来ないであろう。我を捨てて他人を利する事こそ、尊い行為ではないだろうか。
その人は必ず己をも報われるであろう。
その根底には、それぞれの正しい宗派がなくてはならない、そして真実の神のもとに於いて平和を繁栄の祈りをもって、叡智を結集し次代の人々の為に地球人類の真実の繁栄と幸せと文化の遺産を伝達する為に我々はその使命のある事を強く自覚したいものである。

国際文化平和促進財団設立の意義

International Cultuial and Peace Promotional Foundation (ICPPF)は、釈迦牟尼佛陀の御教えを根底にしながら、異なる宗教文化をも理解し合いながら宗派はもとより学術・芸術・芸能などの文化の交流をはかりながら、平和運動を通して世界中の人々の幸福と繁栄を促進させる事を目的とする国際財団であり、本部はスリランカ国にあり、支部は日本・インド・イギリス・アメリカに置き、それぞれの立場で平和運動を通して全人類の永遠の平和と繁栄を祈りながら、その運動の輪を全世界に広げ、真実の幸福を確立させる事を目的とする。

国際大学院の意義

本来、宗教が人類の平和と繁栄を証し、導く立場にあるにもかかわらず、昨今の宗教は、凡人の智恵をもって大宇宙の主催者の声を聞こうとせず、宗教を元とする人間の争いが絶えない。
それは何故か、自己の宗教が最高であるという錯覚のゆえに起こる現象である。
それを正すには如何にすべきか、それは全ての宗教の根本は神の御心に従うにつきるということを忘れているからである。
では、如何にしたら理解し得るか、それは唯一つ、全世界の宗教を一同に集めて、いかなる組織的に小さな宗教であろうとも軽蔑することなく、それらの宗教の真理に耳を傾けるべき場を作ることに尽きる。
その為には未来を背負う若者達にあらゆる宗教の真理を理解せしめ、その上に立って二十一世紀の人類の真実の平和を築くには、宗教・政治・教育・文化・経済等、あらゆる分野の人材を育成することに尽きる。
それが我々二十世紀から二十一世紀の人類の文化の遺産を相続させる唯一つの方法である。
その為には我々心ある人々が国境を越え、宗教を越え、お互いに手を取り合って、一つの場をつくらなければならない。
それには正しく各宗教を偏見なく、全世界の宗教の専門家によって研鑽され継承されなければならない。
そして本来の姿に全ての宗教をもどす以外にない、その為に理解ある人々の智恵と汗と財を神の御名の元に捧げて下さる事を切望して止まない。不肖、慈雲は全てを捧げる決意である。

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